のんびり歩き隊

                                                              2024.9.14~15       曇り


          帝釈山&田代山

           福島県 桧枝岐村                                                             J3ハイカーズ


郡山市~天栄村~国道118号線~下郷町~国道121号線~田島町(会津鉄道田島駅)まで来ました。

斎藤山のアンテナが見えています。2023年11月4日、紅葉の斎藤山に登りました。(写真右端)

   

田島町~国道289号線~国道401号線~国道352号線~桧枝岐村まで来ました。

桧枝岐村~川俣・桧枝岐林道を約13.5km、悪路を走行すると帝釈山馬坂峠登山口に到着します。

自宅を7時に出発し、登山口には11時に到着しました。既に先行者のクルマが6台ありました。

登山道を整備している方に色々とお話しを伺いました。(約20台駐車可)

「雷に注意してください!」とのこと。2004年(平成16年)7月24日に落雷事故がありましたから、、、

登山口をスタートすると直ぐにコメツガの樹林帯の中を歩きます。

登山道整備の方が高い所まで下草を刈っていたんだ。ありがとうございます。感謝!

振り返るとこんな感じです。コメツガに囲まれています。

登山口~山頂までの標高差は約250m、スタート時は約1ヶ月ぶりの山行でしたが、、、「軽快!」でした。

階段・木段登りが辛くなって来ました。

オオカメノキの赤い実

急登の階段登りの途中、おもろい木を発見しました。オオカミの顔のようです。

岩に張り付いているゴゼンタチバナです。

   

辛く、きつかった急登でしたが何んとか、日本二百名山の帝釈山の山頂に立つことが出来ました。

帝釈山は標高2060m、二等三角点の山です。福島県の山の中で4番目に高い山です。(au通信可)

生憎、山頂は雲に覆われ那須・日光連山や至仏山・燧ヶ岳・会津駒ヶ岳などを望むことが出来ませんでした。

山頂で約10分休憩し、田代山に向かいます。稜線付近の岩場は帝釈山一番の難所です。

岩場には6ヶ所、アルミの梯子が架けられていました。

2004年7月24日の落雷事故はこの岩場付近で発生したらしいです。

避難する所がないので岩陰に身を隠したそうですが、、、死傷者が出た事故になりました。

大きなキノコを見付けました。食べられるのかなあ~

帝釈山を降ると平坦な登山道になります。

足が攣りそうになるので休み休み、ゆっくりと歩きました。

カニコウモリかなあ~

平坦な登山道から標高差約100mを登りきると田代山避難小屋(弘法大師堂)が見えて来ました。

綺麗なトイレやベンチがありました。広々とした休憩場所になっていました。

田代山湿原です。霧に包まれ視界がありません。もう、終わりを迎えていましたが、、、

湿原にはイワショウブ・キンコウカ・オヤマリンドウなどが咲いていました.

田代山湿原の周回木道分岐に立つ山爺、湿原の木道は一方通行で反時計回りに歩きます。

視界が良くないので、本日はここまでとします。本当は足が痛いので、、、

時折、湿原を見ることが出来ました。

この先に田代山の三等三角点が登山道を外れた所にあります。(標高1926m)

田代山の最高地点は1971m、弘法大師堂付近に石杭があるようです。(国土地理院地図)

田代山避難小屋の内部は綺麗で「弘法大師坐像」が祀られていました。

帰路の安全登山を祈願しました。

『田代山の歴史』

田代山は古くから雷雲が発生し、降雨が多く、度々下流域に大水が流れ、災害に見舞われました。

天候不順を鎮めるため、1921年(大正元年)7月30日、高野山から二人の高僧を招き、、、

まだ、登山道のない田代山に登り、山頂に弘法大師の像を祀ったのが始まりとされています。

この日は明治天皇が崩御、大正天皇が継承して年号が「大正」に変わりました。

帝釈山まで約1.9kmの道標を見て、、、

田代山~帝釈山~馬坂峠登山口までのUpDown、この足が持ち応えてくれるだろうか。心配です。

帰路に3名の登山者と出会いました。この時間帯のピストンは無理、避難小屋泊でしょうか。

「森の精霊」に無事下山、出来ますように祈りました。

雨粒が大きくなって来たのでカメラをザックに終いました。これ以降、山の写真はありません。

9月の三連休の第一弾は「登山と渓流釣りを楽しむ!」ことで企画しました。(9月14日~15日)

初日は「帝釈山&田代山」に登りました。明日は岩魚釣り、舘岩川水系を釣行します。

宿泊地は桧枝岐村の「そば処民宿 やなぎ屋」さんです。16名収容の小さな民宿です。

   

現在、桧枝岐村には25軒の民宿があります。昔はもっと多かったそうです。

Webで検索して「やなぎ屋」さんを宿に決めました。何んと言っても、、、

1泊2食付で¥8,500円、宿泊料金が安いことです。料理が凄い!美味い!

桧枝岐村は山人料理(やもうどりょうり)で客をもてなします。

シカ肉の刺身と燻製・熊汁・岩魚の刺身と塩焼き・裁ちそばとはっとう・山椒魚の天ぷら・山菜各種、、、

14品目をご馳走になりました。この他、ごはんもありましたが食べられませんでした。

旅館と違い民宿は風呂が小さいなどの不便さはありますが、家庭的な暖かさがあります。(清潔感あり)

やなぎ屋さんを「お気に入り」に追加しました。



15日、、、

やなぎ屋さんの朝食です。

「香茸ごはん」とは朝からリッチですねぇ~、香茸は松茸より高価な値で取引されています。

渓流釣りを予定していましたが、11時から福島県全体が雨の予報なので観光に切り替えました。

昨日の山登りの後遺症(筋肉痛)があり、観光の方が良いかも、、、

2020年7月に婆ぁばと尾瀬・大江湿原ウォーキングに来た際、このような「水の広場」はありませんでした。

「ひのえまた旅館」の向かい側に出来た新たな施設です。

橋場のばんばさまへのお参りは2回目になります。

前回より「縁切り・縁結び」のハサミの数が増えているようでした。

   

桧枝岐歌舞伎の舞台です。(写真右) 山の斜面を利用した石段が客席になっています。(写真左)

江戸時代、娯楽として農村歌舞伎が盛んになり、南会津地区だけで約120ヶ所のステージがあったそうです。

上演日は年3回、行われます。(Webで上演日を確認してください。)

国道352号線沿いに「井籠造りの板倉集落」があります。

桧枝岐村には壁土がないため住家も倉も木造でした。

そのため大切な物を納める倉を火災から守るため住家から離れた所に建てられました。

井籠造りは最も古い板倉で柱を使わず、厚さ約10cmの板を井籠のように組み合わせた構造です。

六地蔵は村人によって季節に合わせた衣装を纏い、可愛いがられています。

  

木賊温泉共同浴場の岩風呂です。(男女混浴 協力金¥300円 写真Web掲載)

昔々、岩風呂に入ったことがありますが、、、何時、来たのか思い出せません。

2019年10月の台風19号の被害により、建物が流され新たに建てられました。(2021年10月再建)

岩風呂は約1000年前に発見され、川底から湧き出る秘湯です。泉質は単純硫黄泉、源泉は44.8℃です。

   

最後に、、、南会津町舘岩地区にある「しらかば公園キャンプ場」を訪れました。近くに湯ノ花温泉があります。

昔々、キャンプをしながら息子のKくんと職場の友と渓流釣りを楽しんだ思い出の地です。

キャンプ場や施設が立派に整備され、のんびりとキャンプを楽しむことが出来るフィールドに変わっていました。

次回、湯ノ岐川で渓流釣りをしてキャンプを楽しみたいと思います。



美ヶ原高原の山行から約40日間、日々、暑い日が続き、これと言った運動をしていませんでした。

その祟りか、身体の4箇所で熱痙攣が発生!無事下山出来るか心配でしたが、、、

何んとか、休憩を多めに取り、事なきを得ました。山行中は「登山止めようか!」と何度も思いました。

健康年齢は70歳までと言われています。山爺は71歳を迎えたばかりです。

何もしないでいると体力も気力も低下するばかりです。シニアには適度な運動と目標が必要です。

次回は猿倉登山口から「田代山湿原を歩いてみたいなあ~」と思いました。