2024.3.19 晴れ
大名倉山
福島県 大玉村 J3ハイカーズ
本日は天気が良いので、自宅から近い大名倉山に登ることにしました。
臨時駐車場にクルマが3台、登山口駐車場に先行者のクルマが2台、駐車していました。
10時30分なのに先行者が下山して来ました。山爺含め、高齢者には「お足頃」の山です。
フキノトウが咲いていました。今年の芽吹きは遅いのかなあ~、早いのかなあ~
砕石場跡です。雪が残っていました。登山道を歩いていると突然、落石のような音が聞こえました。
Hp作成中、大名倉山・日吉神社にまつわる歴史を知ることになります。
ドライアジサイにも新芽が芽吹いていました。
日本で最も美しい村の大玉村だぁ~
のどかな春の陽気を感じます。
一昨年、造られた山頂からの迂回路(左手)が閉鎖になっていました。スズメバチの巣があるようです。
山頂直下に新たに階段が造らていました。
何時来ても素晴らしい「あだたら展望台」です。新たにベンチも設置されていました。
新しいベンチに座り、「いぐねのある田園風景」や阿武隈の山々を眺めながら、まったりと時を過ごしました。
安達太良山山頂は雲の中でしたが、、、
お茶しているとML会の会長からTELがありました。次回の山行を楽しみにしています。
2009年(平成21年)10月24日、ML会のみなさんを紅葉の安達太良山に案内しました。
「フォレストパークあだたら」に泊しましたねぇ~、あれから15年になりますか。
本日は「いぐねのある田園風景」もイマイチかなあ~
この山には宇奈己呂気彦神霊が祀られていましたが、本宮市の安達太良神社に合祀され、、、
石祠のみが祀られています。今年の安全登山を祈願しました。
陽当りの良い南斜面にはフキノトウがいっぱい、、、
日吉神社から登って来た登山者
登山者ではありません。フキノトウを採っています。
日吉神社です。この神社はかつて大名倉山の山中(七合目)にありました。
砕石のため、少し下がった現在の場所に建て替えられました。(昭和46年に移築)
山王二十一仏です。社殿の裏手に一列に並んでいます。
石仏が何時、彫られたのか刻字を確認しましたがありませんでした。
山王二十一仏とは、、、
比叡山に鎮座する日吉神社を構成する上七社、中七社、下七社それぞれの本地仏です。
大名倉山の日吉神社にはこれが揃って並んでいます。珍しいことのようです。
社殿に向かって右から①釈迦如来、②薬師如来、③阿弥陀如来、④千手観音、⑤十一面観音
⑥地蔵菩薩、⑦普賢菩薩、⑧文殊菩薩、⑨大威徳明王、⑩毘沙門天、⑪吉祥天、⑫虚空蔵菩薩
⑬金剛界大日如来、⑭如意輪観音、⑮龍樹菩薩、⑯胎蔵界大日如来、⑰多聞天、⑱摩利支天
⑲弁財天、⑳聖観音、㉑不動明王が鎮座しています。(上写真)
ふくよかな顔の釈迦如来(右)と薬師如来(中央)、阿弥陀如来(左)です。
耳慣れない仏さまがいたので、いろいろ調べてみました。
これらの石仏は大名倉山から切り出した石材に仏さまを彫ったものです。
特に像、獅子、水牛、猪などの動物表現は斬新なもので「秀作」と言われています。
しかし、これだけの石仏群を何時、誰が彫ったのかは不明でした。
林道の左手に日吉神社へ上がる階段があります。階段の両脇に石仏が刻まれた大きな自然石があります。
向かって右側の自然石に地蔵菩薩、左側の自然石には大日如来が見られるそうです。
それは浮き彫りされた摩崖仏とのことです。(左側の自然石の写真なし。次回、撮影します。)
Web掲載者によると、、、
日吉神社社殿内に1枚の絵図が貼られているとのことです。
それにはかつての日吉神社が描かれ、裏山には「山王二十一尊摩崖仏」が記されています。
後 記 (2024.4.26)
本日、逢瀬荘宿泊の前に大名倉山林道を走行し、タラの芽散策をしました。
林道沿いにタラの芽なし。その後、、、日吉神社に参拝しました。
兼ねてより気になっていた自然石の石仏を確認するためです。
階段左手ある自然石に「大日如来」が彫られていました。(写真中央)
階段右手の自然石には「地蔵菩薩」が彫られていました。
日吉神社社殿内の山王二十一仏の額に絵図が描かれていました。
Webの情報通り、大名倉山の山中に日吉神社があり、社殿の周りには仏さまが座していました。
神棚中央に木彫りの「言わざる」と「聞かざる」が置かれていました。「見ざる」は見当たりません。
神棚左手には石の「猿」と木彫りのような「猿」が2体、置かれていました。
猿は山王二十一仏の使いでもあると記されていました。
2021年2月13日の福島沖地震で落ちたと思われる鳥居中央部の「貫」が修復されていました。
日吉神社の参拝を終え、林道に戻ると玉井登山口駐車場が見えて来ました。
振り返ると林道はY字路になっています。右の林道は玉井地区へ戻ります。
左の林道は日吉神社へ行きます。神社手前にゲートがあるのでクルマの乗り入れは出来ません。
駐車場に戻ると新たにクルマが1台、平日にも関わらず、、、人気の山ですねぇ~
大名倉山の砕石が始まったのは昭和40年代の高度経済成長期です。
その頃、東北自動車道路工事が始まりました。工事に大量の砕石が必要になりました。
そこで岩の多い大名倉山に白羽の矢が立ちました。
砕石に支障となった日吉神社と山王二十一尊摩崖仏は、、、
神社は現在の地に移されました。摩崖仏の地蔵菩薩と大日如来は神社の階段脇に運ばれました。
残り十九尊の摩崖仏は所在不明となっています。
社殿裏の本地仏は砕石業者が造立した石仏のようです。(Web掲載より)
大名倉山山頂直下の崩れた岩肌に「山王二十一尊摩崖仏」が彫られていたと思うと、、、
山爺にとって大名倉山は「安」「近」「楽」の山です。
意味は「安全で安心して登れる山であり、自宅から近く、風景が楽しめる。」山のことですが、、、
Hp作成中に大名倉山・日吉神社の歴史を知ることになりました。
それは東北自動道の礎に大名倉山の砕石が使われたことです。その砕石に摩崖仏が彫られていたようです。
詳しい資料がないので推測の域で書かれていました。
次回、日吉神社を訪れ、社殿内の扁額、絵図、石像の猿、自然石の摩崖仏を見てみたいと思います。