のんびり歩き隊

                                                                 2023.7.7       晴れ


          流石山

           福島県 下郷町                                                              J3ハイカーズ


本日の七夕山行は「流石山」です。左から流石山~大倉山~三倉山の連なりが見えます。

手前の山は土倉山でしょうか。(道の駅しもごうPから望む。)

ヨロイ沢駐車場です。

2015年(平成27年)10月24日、大峠から三本槍岳に登った以来になります。

本日の県内各地の気温は上昇し、真夏日になる予想です。熱中症に注意して登りましょう。

   

大峠林道は「令和元年東日本豪雨」により、舗装道や林道の一部が崩落しました。

2020年6月期の裏那須山行は「日暮の滝」から歩かなければなりませんでした。

早期復旧のお陰でヨロイ沢橋手前に4ヶ所の駐車場が設けられました。(1ヶ所3~4台駐車可能)

災害以前の駐車場です。2019年10月10日まではクルマで来ることが出来ました。

   

鏡ヶ沼分岐、大峠林道の終点まで来ました。道標に「大峠これより弐粁」とあります。

「粁」はキロメートルです。日本の計量法は1885年(明治18年)に尺貫法からメール法に変わりました。

道標は戊辰戦争後に建てられたものになります。

松川街道大峠の一里塚です。「左 十米(10メートル)」と記されています。

この先に大きな塚が2つありました。この道標も明治時代のものですねぇ~

電柱の丸木橋は健在でした。

登山道途中から流石山の稜線が見えました。

ブナ林の中を歩く。もう直ぐ、大峠です。

大峠手前に「ガク」のないウラジロヨウラクが咲いていました。

   

8年前、大峠から流石山に登る予定で来ましたが、ここで裏那須に通い続けている登山者に出会い、、、

優柔不断な山爺は急遽、三本槍岳に変更した次第です。直進すると「三斗小屋温泉」です。

旭岳の山容です。

大峠十字路からは暑い日差しを遮るものがありません。水分を補給しながら登りましょう。

裏那須です。

天まで届け!この急斜面、お花を見ながら登りました。

コメツツジです。終わりかけですねぇ~

ヤマオダマキです。

ニッコウキスゲです。もう、終わりを迎えていました。

ウスユキソウです。

シモツケソウです。アカバナシモツケソウかも知れません。

ウサギギクです。

早池峰山のハヤチネウスユキソウを見てみたいですねぇ~

ここまで登ると茶臼岳が顔を見せてくれました。

沼ッ原調整池

イワオトギリです。長い雄しべが綺麗です。

ふたりの登山者と挨拶を交わしました。

大倉山手前や五葉の泉まで行かれましたが、、、暑いので引き返して来たそうです。

オニアザミです。

先行するOさん、流石山山頂はまだかなあ~

ガッツポーズをするも、、、耳鳴りと暑さでヘロヘロです。

第一回目の休憩地、ここで給水とバナナを食す。ザックが肩に食い込むので少量の荷物をデポしました。

那須連山を見たら、少し、元気が出ました。登るぞ~

ハクサンシャクナゲが咲いていました。

旭岳と稜線を歩く山爺、写真写りはいい感じですが、、、本人は疲れ切っています。

第三回目の休憩地です。熱中症対策に冷水を含ませたタオルを首に巻きました。

登山道はほぼレベルになりました。右から須立山~旭岳、二岐山が頭を出しています。

マルバシモツケかなあ~

ニガイチゴです。

お花畑の中を歩く。

大倉山~三倉山はまだ先のようです。

流石山山頂です。ここから先を歩く、元気はありません。本日はここまでにします。

山頂から観音沼公園が見えます。駐車場付近の藪の中に一里塚があるそうです。

沼ッ原調整池(左)と深山湖(右)が見えます。昔々、深山湖の最上流部を渓流釣りしました。

午後になると少し暑さが和らいだ気がします。高嶺の風が気持ちいい~

薄いピンク色したハクサンシャクナゲ、トンボが空いっぱい飛んでいます。

ハクサンフウロです。

今週、NHKの小さな旅で「三斗小屋温泉」を紹介しました。(写真中央下の白い点)

会津中街道の藩境の「大峠」は険しい難所で登山口に宿を設ける必要がありました。

黒羽藩は財政難のため、会津藩が用立て「三斗小屋宿」を作りました。(戊辰戦争は敵対)

これまでの疲れを忘れさせてくれる景観です。

アカモノです。

ゴゼンタチバナです。

一本だけのコバイケソウ

モミジカラマツです。白い雄しべが残っています。

ミヤマカラマツです。モミジカラマツとは葉の形で見分けます。

ミネヤナギです。

   

大峠の十字路が近くに見えるようになりました。

7月2日、流石山の稜線で熊による事故が発生しました。(先行登山者の談)

県内のニュースにも流れたので熊対策に爆竹、ラジカセ、発煙筒、刀など持って来ましたが、、、

クマちゃんに遭遇しなくて良かったです。

下山は比較的歩き易い、新道?を歩きました。

ニホンシカの足跡のようです。高山植物を食い荒らしています。

一瞬、立ち止まり、「クマ」ですか!いやいや、サルが木に腰掛けているように見えました。

ヨロイ沢橋です。傷んでいるようには見えませんが、、、この先で測量士が作業をしていました。

「有賀左司馬戦死之地」の案内板

江戸時代、会津中街道は松川街道と呼ばれ、会津若松市と栃木県さくら市を結ぶ約128kmの街道でした。

丁度、中間に松川宿があったことから松川街道と呼んだとか、、、松川宿は現在の下郷町です。

1683年(天和3年)に日光大地震が発生し、下野街道の一部が遮断され、会津中街道が出来ました。

会津と江戸を結ぶ最短距離で参勤交代路や廻米輸送として利用されましたが、、、

暴風雨で大峠付近が被害を受け、松川街道は遮断されました。(参勤交代は4回通行のみ)

1868年(慶応4年)の戊辰戦争では街道沿いの村々が戦果に見舞われました。

1904年(明治37年)、磐越西線が開通したことで会津中街道は街道の役目を終えたそうです。

日暮の滝です。約40mと15mの二段になって流れ落ちています。滝壺は見えません。

滝見台の傍に滝壺まで降りる遊歩道がありますが、チェーンが張られていました。

ここは中峠と呼ばれ、付近に一里塚があるそうです。

絶景巡礼ビューポイント50に選出された「日暮の滝」です。

悪名高き会津藩主第2代藩主の加藤明成が朝から晩まで見ても飽きなかったのが、、、名の由来とか。

日暮の滝から流れる「加藤谷川」も名の由来とか。

帰路途中、日暮の滝の先に鳥居、社、3体の石仏が祀られていました。庚申塔と教えて貰いました。

庚申塔は古くから集落や街道筋などに建てられ、天帝に人間の悪事を報告しないようにと、、、、

庚申の日は夜通し寝ないで「猿田彦」や「青面金剛」を祀り、宴会・話しなどをする風習がありました。
  

   

仏教系の庚申塔は病魔や災難を取り除く、インドの神「青面金剛」です。

6本の手を持ち中央の二手は合掌、他手にはそれぞれ、剣や弓などを持っています。

青面金剛像の台座には天帝に悪事を告げないように「見ざる、言わざる、聞かざる」が彫られています。

時代によって青面金剛像や鶏、猿などが様々な形態で彫られ、時代の変化が感じ取れます。



梅雨の合間を狙った山行の第三弾は「流石山」です。丁度、七夕の日に重なりました。

天気予報は曇りでしたが、気温は真夏日の晴れマークになりました。

暑さに耐え切れず、泣き泣き登った大峠からの急斜面、、、何とか70前の「坂」を登り切りました。

紅葉の時節に再度チャレンジしてみたいものですが、、、体力的にどうなるものか。

「流石山=花の山」と思っていましたが、、、そうでもなかった。稜線からの景観は素晴らしいものでした。

大峠には江戸時代初期からの歴史街道がありました。古の道にロマンを感じながらの山行になりました。

HPを作成しながら、歴史を調べるのも山行の楽しみのひとつです。

明日まで覚えていれば良いのですが、、、(笑笑)