のんびり歩き隊

                                                              2023.10.1      雨/曇り


          第25回 いなわしろ軽便ウォーク

           福島県 猪苗代町                                                             J3ハイカーズ


本日は「第25回 いなわしろ軽便ウォーク」に参加するため、磐越西線に乗車、川桁駅に向かいます。

生憎の雨です。受付を済ませ記念品・温泉券(タオル付き)・飲み物などをいただきました。

   

いなわしろ軽便ウォークを主催する「猪苗代町商工会青年部」の代表の挨拶から始まり、、、

猪苗代町の二瓶町長、車両を製造していた福島市の協三工業(株)加藤社長の挨拶がありました。

本日は二瓶町長の誕生日だそうです。みなさんに祝って貰い、良いこと。良いこと。

協三工業さんは国鉄時代から小型ディーゼル機関車・台車枠などの製造を行っています。

因みにディズニーランドのウエストランド鉄道の蒸気機関車も製造しました。

   

本日の参加者は約190名です。

沼尻軽便鉄道記念碑の前に集合、「高原列車は行く」をハモニカおじさんの演奏で合唱しました。

「汽車の窓から ハンケチ振れば、、、ランランランランラン 行くよ」古関裕而先生の作曲です。

ホイッスルの発車合図で始発駅の「川桁駅」をスタートしました。

川桁駅前通りが人でいっぱいになるのは本日位かなあ~、大変失礼いたしました。

観音寺川に水量はありません。来年の桜の開花が楽しみです。

1969年(昭和44年)、全線廃止になるまでこの道路を軽便鉄道が走っていました。

今、54年前の鉄路を山爺たちは歩いています。

季節外れのアサガオでしょうか。

リステル猪苗代です。

   

最初の停車駅は「白津駅」です。スタッフが乗車券に挟みを入れています。

白津地区には樹齢約450年の「白津唐傘松」があります。歴史好きには八手山城もあり、、、事欠きません。

小雨が降ったり、止んだりです。最後尾をのんびりと歩く、山爺です。

   

地蔵堂脇にある「身代わり地蔵」さんです。

遥拝地の「湯殿山」の石碑には文政○○年三月吉日と刻まれていました。(文政年間は1818年~1829年)

前の集団が見えて来ました。

秋の味覚、クリ坊です。塩茹でにすると甘じょっぱく、美味しいです。

「内野駅」です。「うつのえき」と読みます。

内野地区には第14代猪苗代城主 猪苗代盛胤の墓があります。

父親の盛国は伊達氏に寝返り、盛胤は蘆名氏方として摺上原で父親と戦いました。

伊達軍が勝利し、伊達政宗は南奥州の覇者になりました。(摺上原は磐梯山の裾野)

   

十王堂です。湯殿山の他、秋葉山と象頭山の石碑がありました。

最後尾を争っている、おばさんの靴底が剥がれてしまいました。応急処置をする山爺です。

猪苗代三十三観音 第10番札所の「隣松院 観音堂」です。

山裾まで広がる蕎麦畑です。今年の作柄は良くないとのことですが、、、

10月2日から全国一斉に販売される「猪苗代蕎麦まつり」のチケットを買いました。(¥1000円で¥1500円分)

「会津下館駅」です。今でも当時のトイレが残っていました。

ここでトイレ休憩タイム、給水を摂りました。

長瀬産業組合の建物が「村の停車場」になっています。2Fが沼尻軽便鉄道の資料展示場です。

1Fは土日祝日営業の「手打ちそば食堂」になっています。

いい感じの1枚です。

コスモスが綺麗に咲いていました。

   

「荻窪駅」です。当時の駅は前述の写真に写っている神社前を軽便鉄道が走っていました。

この広場は何んだろう、、、

案内板にはありませんが、地元の方曰く、白木城跡地だそうです。

「白木城駅」です。この地区は養蚕が盛んで蚕をネズミから守る「猫石神」が祀られています。

この地区の家畜診療所です。

神社の脇に大日塔、馬頭観音などの石碑がありました。

軽便鉄道ライン沿いの各地区には神社や寺が建てられていました。比較的歴史は浅いと思われます。

猪苗代町のマンホールは磐梯山・猪苗代湖・白鳥のデザインです。

思わず梅谷心愛ちゃんの「磐越西線ひとり」を口ずさんでしまいました。

「猪苗代湖は 白鳥も 羽を凍らせ 耐えている、、、磐越西線 会津は雪よ」

手打ちそば処「まるひ」さんです。猪苗代町には美味しい蕎麦屋がたくさんあります。

   

「会津樋ノ口駅」です。

会津樋ノ口駅は軽便鉄道全線の中間に位置し、駅周辺には店舗や旅館があり、人々の往来がありました。

猪苗代三十三観音 7番札所の「天徳寺」です。1254年(建長6年)の創建と言われています。

境内には樹齢約700年の「一位の木」があります。

あと8kmもあるの~

赤埴山が見えて来ました。

   

名家地蔵講のみなさんが南無地蔵尊を祀っていました。

「名家駅」です。「みょうけえき」と読みます。

当時の駅は小田川橋の先、国道115線とのT字路付近にありました。

「酸川野駅」です。「すかわのえき」と読みます。ここでおもてなしを受けました。

   

「高原列車が行く」を演奏したハモニカおじさんに記念写真を撮っていただきました。

お汁粉・こんにゃく、美味しかったです。

軽便鉄道はバスに変わったんですねぇ~

ガマ石の前に念仏、、、と書かれた石碑が立ち並んでいます。

小倉百人一首の「蝉丸」と書かれた木杭もありました。

   

国道115号線沿いにある「清水屋」さんです。ここの麺(中華麺・蕎麦・うどん・素麺など)は絶品です。

山爺の一押しは「平打ち極太ちじれ麺」です。

野菜たっぷりの味噌ラーメンに辛子味噌をトッピングして食しています。

   

最後尾(殿)をのんびりと歩く。田んぼに立っているフラッグは何んなの~

一緒に最後尾を歩いていただいている、スタッフのEさん曰く、、、

自分の田んぼを間違わないようにフラッグに米の銘柄と生産者の氏名が書いてあるとのことでした。

「木地小屋駅」です。この地区にも有名な蕎麦屋があります。

国道115号線を横断して軽便鉄道は山裾を走っていました。

のどかだなあ~

気になっていた看板なのでスタッフに訪ねました。現在は休館しているそうです。

何処までも続く、田んぼと蕎麦畑。彼方に沼尻スキー場のゲレンデが見えて来ました。

沼尻スキー場のゲレンデにズームUP。本日は雨なのでオリンパスのコンデジで撮影しました。

ススキと吾亦紅のようなドライフラワー

   

鉄道法では軌間1067mm以下を「軽便鉄道」と呼んでいます。沼尻軽便鉄道の軌間は672mmです。

道幅の狭い緑のトンネルや橋の通過も大丈夫です。

ノリウツギかなあ~

   

終着駅の「沼尻駅」です。

日本硫黄株式会社は製錬した硫黄をここから軽便鉄道に積み込み国内外に搬出しました。

軽便鉄道のおかげで一年を通して湯治客やスキー客で温泉街は賑わったそうです。

ゴールの中ノ沢体育館をめざします。本日の一番の難所は温泉街へ行く、この坂道かも知れません。

   

最後尾を争ったおばさんたちです。今までは3kmが限界とのことでしたが、、、完歩したじゃないですか。

「おめでとうございます!」

靴底が剥がれたおばさんもゴール出来て良かったですね。途中で棄権しようと思ったそうです。

完歩のご褒美に蕎麦とおにぎりなどをいただきました。抽選会の賞品は「笹団子」でした。

   

ウォーキング後の温泉は「白城屋」です。白濁した硫黄泉がいいですねぇ~ (Web掲載)

入浴後、シャトルバスで川桁駅まで送っていただきました。待合室で次の列車まで約1時間待ちました。

スタート時の賑わいは何処へやら、、、川桁駅前は静けさを取り戻していました。

   

17時36分、郡山駅に到着しました。「完歩」のご褒美は駅ナカの「もりっしゅ」での美味しいお酒です。

郡山市特産の鯉料理「コイのカルパッチョ」を晩酌セット&田村市都路産のクラフトビールでいただきました。

「第25回 いなわしろ軽便ウォーク完歩の証」



クルマで移動したことのあるこの道路は昔、沼尻軽便鉄道が走っていました。(1913年~1969年)

この道路(鉄路)を約18km歩きました。

歩かなければ判らない、、、地域の歴史や生活などを肌で感じました。

のんびりと歩き、初対面の方々との話しなど、、、貴重な時間を過ごすことが出来ました。

ご接待いただきました実行委員会スタッフの方々に感謝申し上げます。