2023.4.20 晴れ
青木山(奴田山)
福島県 会津若松市 J3ハイカーズ
ここは会津若松市内にある「子どもの森公園」です。
2015年(平成27年)4月29日、青木山の山開きに参加しました。(今回が2回目の山行)
右手にキャンプ場(焚き火台可)を見ながら登山口をめざします。(右写真)
真新しい「Welcome 奴田山」の案内板がありました。
国土地理院の山名は「奴田山・ぬたやま」ですが、地元では「青木山」の名で親しまれています。
眼に優しい、新緑の季節を迎えましたねぇ~
熊が出没するようです。ボコボコに叩かれた一斗缶が頑張っています。
コシアブラの新芽です。山菜の季節になりました。
ヒメシャガの群生地です。前回の山行では下山時、ここに降りて来ました。
記録によると、、、
山開きの参加者は212名でした。田んぼの畦道を列をなして、ゾロゾロと歩いていました。
何処から登ったんだろ~
新築された葉山神社を経由して青木山山頂をめざしたのは山爺を含め、数名でした。
青木山山頂まで「ガンバレ 60分」です。
「山」の意味するものは何んでしょう。
ヒトリシズカですが、、、みんなが集まれば騒がしい!
もみじ平に到着しました。本日の会津若松市の気温は29℃の予報です。半袖に着替えました。
年季の入った一斗缶。登山道に4箇所設置されていました。
これからお目覚めのカタクリちゃんです。
木立に隠れていますが、、、飯豊連峰が見えて来ました。
登山道から会津若松市街が一望出来ます。
若松城にズームUP
ブナばかりが「アガリコ」ではないようです。
これからミツバツツジになるのかなあ~
青木山山頂が見えて来ました。
山頂手前の展望台より飯豊連峰を望む。雄大さに見とれ、、、「飯豊はいつ見てもいいで!」
大日岳です。
飯豊本山です。あの時、登っていれば良かったなあ~
磐梯山と背炙山です。
山頂手前に「妙見様」の案内板があったので行ってみることにしました。(約10分の距離)
妙見様が祀られていました。眼が良くなった方の絵馬が奉納されていました。
ここから更に約10分の距離に東山ダム(湯の入り湖)が見える展望台があります。行ってみましょう。
キクザキイチゲ
展望台かなと思ったら、、、まだ、先のようです。ここから標高差約100m降りると展望台です。
登り返しがあるので、本日はここまでとします。
熊ちゃんの爪痕
どんぐりから芽が出て、地中に潜っています。
調査中でしたが、、、判りました。セントウソウです。
奴田山723mの標記と作業用シートで囲われた湯沸かし台です。風が強いのかなあ~
福島TVは2021年に「新うつくしま百名山」を刊行しました。(初刊1998年)
15座の入り替えがあり、奴田山(青木山)が選出され、「背炙山」と入れ替わりました。
青木山山頂を示す標記杭は見るも無残な姿になっていました。
元はと言えば熊に齧られ、傷口が広がり、施工したライオンズクラブの名もなくなっていました。
山頂から戻り、展望台(分岐)でコーヒータイム、ゆっくりと時間が流れていきます。
天まで伸びろ!
ミニエンレイソウの群生がありました。
ヤマブキの日の丸撮り
クロモジです。
子どもの森スキー場に降ります。
青木山の中腹まで来るとヤマツツジが咲いていました。(山頂は蕾)
今年、初めてのチゴユリです。
「ユズリハ」と教えて貰いました。
小田山からの眺めです。
小田山の標高は372mあります。
眼下は子どもの森のスキー場です。ゲレンデ内に八重桜が植えられています。滑れるの~
八重桜
新政府軍(西軍)の砲台跡が約700mの距離にあります。本日はパスしますが、、、
新政府軍と旧幕府軍の戦い(戊辰戦争)は最後まで「義」を貫いた会津藩にとって悲惨なものでした。
小田山に陣を構えた新政府軍は若松城をめがけて、50門のアームストロング砲で集中砲撃。(他に砲台6箇所)
午前6時~午後6時までの12時間に1200発以上の砲弾が撃ち込まれました。
攻撃は3週間続きましたが、、、城は落ちなかった。
NPO法人「はるなか」くんが青木山の里山再生事業に取り組んでいます。
物見台跡から飯豊連峰を望む。
小田山は会津蘆名家の山城でした。
小田山城址から白鳳三山を望む。
白鳳三山は観音山・羽黒山・岩崎山(向羽黒山)を言います。蘆名盛氏の山城でもありました。
田中玄宰(はるなか)の墓と青木山
田中玄宰は江戸時代後期の会津藩の家老です。「天明の大改革」などで功績をあげました。
また、今日の会津地方の伝統産業と藩校日新館の創設に尽力を尽くしました。
玄宰は「我が骨は若松城と日新館の見えるところに埋めよ!」との遺言を残しました。
会津藩重臣丹羽家の墓
ひときは大きい墓は家老 丹羽能教(よしのり)の墓です。
1808年(文化5年)樺太に出陣、1810年(文化7年)江戸湾防備の任に就きました。
磐梯山と八重桜
若松城にズームUP
難攻不落の名城「若松城」をより正確に再現するため、平成23年、屋根瓦を黒瓦から赤瓦に葺き直しました。
幕末時代に赤瓦を纏った日本で唯一の天守になりました。
子どもの森スキー場から背炙山を望む。
「新うつくしま百名山」から外されましたが、一度は登ってみたい「背炙山」です。
八重の桜です。今年も会津藩公行列を見てみたいなあ~
子どもの森公園の管理棟です。無料休憩所「寺子屋」にもなっています。
子どもの森公園から青木山を望む。
来年4月にキャンプをしながら、再訪してみたいと思います。
「折角、若松に来たなら白孔雀食堂のソースカツ丼、食ってがせ!」
有名店のソースカツ丼を食べ歩いていますが、、、脂身のない、肉薄のカツが2枚、どんぶりからはみ出ています。
ご飯が少ないので、ダイエット中の山爺でも無理せず完食出来ました。
江戸時代、会津藩は幕府の命を受けてロシアの侵略を防ぐため樺太に出陣しました。
また、鎖国政策を続けて行く中で開港・開国を迫る諸外国に対して江戸湾の防備にも就きました。
先人たちの築き上げた伝統の会津文化も、、、
青木山に登り、新たに会津藩の歴史の一面を知ることが出来ました。