2021.2.28 晴れ
宇津峰
福島県 須賀川市 薫SS隊
須賀川市民の森の駐車場は満車で階段を降りた「下」の駐車場にクルマを停めました。
本日はOさんご夫婦とTさんと4人で宇津峰に登ります。
春のポカポカ陽気の中、駐車場を10時30分にスタートしました。施設内にある石を割って出た「カシワの木」を案内。
ヤマナラシの群生は落葉し、案内出来ませんでした。(左写真左端)
ヤマナラシの葉柄は細いので風に揺れ易く、擦れ合ってカサカサと音をたてます。
シーズンに備えて管理人さんがキャンプ場の整備をしていました。
草を与えようとすると黒ヤギさんと白ヤギさんが近寄って来ました。左写真はヤギさんたちの「エサ」のようです。
本日はのんびりとした山歩きが楽しめそうです。
四差路の分岐に来ました。登山道の中でも急登を選択しました。宇津峰山頂への一番の近道です。
ワンちゃんが急登を駆け降りて来ました。動きが早いので可愛いお顔がピンボケになってしまいました。
大きな松の木
千人溜の下に「ウバユリ」のドライフラワーが、、、葉(歯)がないので姥ユリだそうです。
Tさんは日本の城に興味を持ち、「土塁」「郭」などを見たくて、、、初めて宇津峰に登りました。
左手は千人溜の土塁で高さが約1.8mあります。宇津峰城の本丸とも言える郭です。
左から白笹山~黒尾谷岳~南月山~日の出平~茶臼岳~剣が峰~朝日岳へと連なる那須連山です。
須賀川市街地と那須連山
白蛇神社にお詣りするトレイルランナーたち
須賀川城主 二階堂行朝が南朝方から北朝方に寝返ったこともあり、宇津峰城は落城しました。(約1年籠城)
千人溜は約20m四方の広さで後醍醐天皇の孫 守永王、後村上院、後亀山院の3親王が祀られています。
後村上院(南朝第2代天皇)、後亀山院(南朝第4代天皇)など南朝方の天皇が正統とされたため、
歴代天皇として1911年(明治44年)に認定されました。
写真正面には「南朝忠臣之遺跡」「雲水城址」の石碑があります。
二等三角点(標高676.9m)のある山頂広場でコーヒータイムにしました。
木立の間から雪を纏った磐梯山を初めて見ることが出来ました。
星神社(大きな岩)が祀られていました。宇津峰城は別名「星ヶ城」と言われた所以かも、、、
大木が切り倒されていました。
こかげ広場が見えて来ました。5月末になるとアヤメやキンランが咲き、楽しみが増します。
ここを登れば西音森山の山頂です。頑張りましょう。
東屋が見えて来ました。
方位盤で阿武隈の山々、奥羽山脈の山々を確認しました。
古峰神社です。
由緒によると戦国争乱の天正年間に塩田村に不審火が続きました。
村人が恐れおののいたため、領主 塩田右近太夫重政が火伏せの本宮を建て、古峰大権現を祀ったとのこと。
O管理人さんが切り拓いた登山道を降り、ゴールをめざします。道標は鳥を形どった目印です。
新ルートの出口は何処でしょうか。楽しみです。
たくさんのウ○コが、、、おしり探偵に犯人を探して貰いましょう。
新ルートの出入口はヤギさんの家の向かい側にありました。
急登で大腿四頭筋は疲れませんでしたか、、、このあと、平田村の「味楽」で昼食。
道の駅「ひらた」で買い物、バーデン温泉に入り、帰路に着きました。
クロスカントリーコースの案内板です。山爺はもうチャレンジ出来ませんねぇ~、歩くのがやっとです。
「音森自然塾」が開設されたようです。
管理事務所の情報案内では、、、
宇津峰城は千人溜、長平城、鐘撞堂、御井戸の清水を中心に東乙森、西乙森、弓張峠の出城で構成。
麓には谷田川城、御代田城、宮田陣馬、西山館などがあり、南側(千人溜の下)で金掘が発見されています。
薫
2月末日、天気も良いのでトレイルランナー、ハイカー、登山者など多くの来訪者で宇津峰もびっくりでしょう。
市民の森の駐車場が満車状態になるとは思ってもいませんでした。
昨年はキンランの開花状況を含め、5回足を運びました。その都度、新発見がありました。
四季折々、姿形を変えて出迎えてくれる、、、そんな自然が大好きです。近間なのでまた来たいと思います。