母成峠【2021.6.2】 晴れ のんびり中隊
福島県 猪苗代町
ここは母成峠の駐車場です。「母成グリーンライン」は舗装道修繕ため、大型トラックが出入りしていました。
戊辰戦争の激戦地となった「母成峠」には碑が建てられています。
旧幕府軍(大鳥圭介、土方歳三など)約800名と新政府軍(板垣退助、川村純義など)約3000名が戦いました。
この時、土方歳三は猪苗代城にいて、ここでは戦っていません。
1868(慶応4年)8月21日、この地で戦いが始まりましたが、、、圧倒的な火力の前に旧幕府軍は敗走。
猪苗代城にいた土方歳三ら新選組が慌てて出陣しましたが、猪苗代城まで押し戻され、十六橋まで退却。
悲劇の白虎隊も合流し、、、戸ノ口原の決戦でも敗走。若松城に戻る途中、燃え上がる城を誤認して自刃。
母成峠は猪苗代町と郡山市の境に位置します。(標高972m)
ここには会津藩と旧幕府軍が構築した遺構が残されています。
説明文によると上杉景勝と直江兼続時代に築かれた防塁が再利用された、、、とあります。
1600年の防塁を改修したので、、、「関ケ原の合戦」で築かれたものと思います。
荒れ果てた散策路の先に安達太良山登山口があります。(陣跡散策路所要時間:約30~40分)
本日は歴史探訪ではなく、登山でもなく、山菜採りに来ました。
この登山道は安達太良山への登山道のひとつです。
登山者名簿を見ましたが本日の登山者はいません。
国土地理院の地図でも判るように登山口からいきなりの急登です。
九十九折の急坂を額に汗しながら登りました。
昔の名残でしょうか。タバコの吸殻入れがありました。
登山道には赤テープが巻かれ、道迷いの心配はありません。
いい感じの登山道です。
母成峠登山口から安達太良山をめざす登山者は少ないと思いますが、良く整備されています。
雨が降れば小沢になるでしょうが、、、枯れていました。
マツ林の中を歩く。
分岐がありました。GPSを持って来ていないので一本目の分岐か、二本目の分岐か判りません。
国土地理院の地図の地形から判断して「山菜エリア」をマーキングしました。
案内板には「船明神を経て安達太良山山頂まで」と「ボナリ峠P→50分」とありました。
ムラサキヤシオツツジです。
ヌタ場のような跡
本日は現役時代の同僚Kちゃんの案内で山菜採りに安達太良山登山道の中腹まで来ました。
山菜は「コシアブラ」と「地竹(根曲り竹)」です。たくさん採れたので、、、お裾分けしました。
この一帯はクマちゃんの生活エリアです。クマちゃんの落とし物(糞)もありました。
地竹はクマちゃんの好物です。それを奪いに来たのですから、、、遭遇しなくて良かった。
山爺の山菜エリアにマーキングして来ました。
山菜エリアから約200m先に大きなブナの木がありました。Kちゃんの話しによると、、、
安達太良山からの下山時、クマちゃんを見たそうです。ブナの袂でクマちゃんが休憩していたそうです。
そろそろと近づいてみました、、、
母成峠の駐車場の奥に安達太良山への登山口「母成峠」のあることを知りませんでした。
これまで「奥岳」「塩沢」「沼尻」から安達太良山に登りましたが、、、
「横向」から箕輪山、「石筵」から和尚山に登りましたが、縦走はしていません。「表」は未です。
「福島登高会」さんの山行記録によると、、、
1210m付近の分岐(山爺の言う、一本目の分岐)から「石筵」に下山しています。
1270m付近の分岐(山爺の言う、二本目の分岐)は確認出来ず、廃道になったかも知れないとのこと。
母成峠~船明神~安達太良山山頂へと登ってみたいですが、、、クマちゃんとの遭遇が怖いですねぇ~
「コシアブラ」は「お浸し」と「天ぷら」で食しました。「地竹」は皮むきが大変でしたが、、、
「豚肉&糸コン&地竹」を味噌と醤油で煮込みました。美味しゅうございました。
残った地竹は水煮の瓶詰めにしました。(約1年間保存可)
旬の山菜を楽しむようになりました。これも歳なのでしょうか。