いわき紅葉グルメ旅PartⅡ【2020.12.12~13】 晴れ/曇り のんびり夫婦隊
福島県 いわき市+茨城県 北茨城市
11月17日、いわき紅葉グルメ旅でMちゃんと昼食に特上海鮮丼を食した四倉町の「和」さんです。
デカ盛りの新鮮な海鮮丼が頭から、、、目から離れず、婆ぁばと再訪しました。
本日は「特選海鮮丼」を食すと決めて来ました。器の上に3F建ての海鮮マンションが立っているようです。(¥3,000)
婆ぁばは「特選三色丼」を注文、のどぐろの炙りが美味とのことでした。(¥2,000)
食にこだわりのない山爺ですが「和」さんの海鮮丼はお勧めです。分厚く切られたマグロがトロけそう、、、
昨年、初日の出の撮影の下見に来た「道の駅 よつくら港」です。1Fでは地場産品や特産品などを販売しています。
2Fのフードコートでは握り寿司、海鮮ちらし寿司が食べられます。喜多方ラーメン(よつくら 喜一)もあるとのこと。
「フラおじさん」は愛嬌のある優しいおじさんのようですが、、、フラフラしているおじさんは困りますねぇ~
波立薬師は初日の出・初詣元旦護摩祈祷の準備をしていました。(別名波立寺 はりゅうじ)
第1回ふくしま海遺産に「波立海岸」が選ばれました。「小名浜潮見台」や「三崎公園」も選出されています。
弁天島を自撮りしているお兄さんがいました。今回も渦潮を見ることが出来ませんでした。
県道41号線(小野~四倉線)が国道6号線に交差する手前に「船渡八幡神社」がありました。
急な階段を登ります、、、参拝して行きます。
小高い丘の上にある小さな社です。地域住民の海上安全や大漁満足などの守護神として祀られて来ました。
四倉町(県道382号線)~新舞子海岸~薄磯海岸と南下して平地区にある沼ノ内弁財天に来ました。
昭和40年代、両親に連れられて「大ウナギ」を見に来たことがあり、、、来てみました。
写真正面の密蔵院楼門の彫刻は左甚五郎作と言われています。左手の浮見堂から餌を与えると、、、
コイに混じって「大ウナギ」が現れるとのことです。現在、ウナギ(シラスウナギ)が減少していて調査中とのこと。
樹齢推定約500年の「椎」の木です。
密蔵院賢沼寺は807年(大同2年)、徳一大師によって建立され、弁財天を祀る堂に始まると伝えられています。
寺の右には沼を巡る遊歩道がありました、、、小学生の頃、「大ウナギ」を見た記憶はありませんでした。
富神岬の小さな漁港です。アングラー女子は何を狙っているのかなあ~
「平沼ノ内弁天岬展望デッキ」の案内板があったので来ましたがクローズされていました。
薄磯海岸から塩屋埼灯台を望む。
「薄磯防災緑地」は東日本大震災で甚大な津波被害を受けた薄磯地区に出来ました。(122名が犠牲)
令和3年の元旦の初日の出はここに来ようと思っています。
薄磯海岸と豊間海岸の突端にある「塩屋埼灯台」に来ました。約190mの急登の石段を登ります。
県道382号線はここまで、、、通行止めになっていました。新しい道路を造成しています。
塩屋埼灯台は全国で16台しかない「のぼれる灯台」のひとつです。(参観寄付金¥300円)
霧信号用ラッパは霧などで視界が悪く、灯台が見えない時、航行者に位置・方位を知らせる装置です。
明治32年の点灯から昭和46年まで保守点検に職員(灯台守)が居住していました。
(光度44万カンデラ、光達距離約41km)
灯台内の103段の廻り階段を登り、外に出ましたが強風で飛ばされそうになりました。
美空ひばりさんの「みだれ髪」の歌碑です。近づくと曲が流れます。
地元では「豊間の灯台」と親しまれて来ましたが、歌詞から「塩屋の岬」が有名になり「ひばり灯台」とも、、、
本日、最期に立ち寄ったのは「いわき・ら・ら・ミュウ」です。海の駅「いわき」、いわき市観光物産館です。
2021年春に遊覧船が就航されることが決定したそうです。嬉しい限りです。乗船します。
6回目のGoToトラベルの宿はいわき湯本温泉「新つた」さんです。
館内には野口雨情の作品が展示されていました。「雨情ゆかりの宿」と言われています。
雨情は大正の頃、「新つた」を訪れ竹林と美しい庭園を眺めながら数々の叙情深い詩を詠みました。
ベッドの部屋しか空いていなかったのですが、、、良かったです。(19時30分就寝)
「新つた」の夕食と朝食です。夕食には福島の黒毛和牛ステーキも付きました。
お洒落な盛り付けも良かったです。7月から毎月、GoToトラベルを利用していますが、一番かも、、、
露天風呂は「熱い湯」と「温かい湯」が用意されていました。気配りがいいですねぇ~
翌日、、、
朝食後、温泉神社を散策しました。
鳥居の左手には「さはこの湯」の石碑、温泉水が湧き出ています。
右手には詠み人知らずの和歌「佐波古の御湯」が草野心平の書で刻まれていました。
いわき湯本温泉の源泉は一旦、ふたつの巨大タンクに溜められ、旅館や家庭に送られます。
温泉神社は全国温泉神社七社の一社で673年からの歴史ある日本三古泉「湯本温泉」の鎮守さまです。
現宮司さまは八十五代目だそうです。御朱印をいただきました。
散策後、勿来の関に向かいました。「新つた」の駐車場にも紅葉が残っていました。
湯本駅に入線するE657系交直流形特急電車です。懐かしいなぁ~
勿来の関公園内にある「吹風殿」です。ここで「松井秀簡」の歴史講座が開催されていました。松井秀簡は、、、
泉藩の代官で戊辰戦争の際、非戦を説き自刃しました。戊辰戦争はいわき市まで及んでいたんですねぇ~
約1時間30分の講座なので、、、聴けなくて残念。
吹風殿の庭に一条の光り
勿来関文学歴史館です。館内には常設展示室、企画展示室(月替わり)、市民ギャラリーなどがあります。
フラ女将のポスターです。中央に「新つた」の女将さんが、、、
テラスのガラスに小野小町の和歌がプリントされていました。(シールではありません。)
勿来関文学歴史館の北側に広場があり、いしぶみに続く遊歩道がありました。
広場には源義家の歌碑や小さな社が建っていました。
遊歩道の両脇には松尾芭蕉、小野小町、源義家、斎藤茂吉などのいしぶみが建っていました。(14石碑)
写真中央に「勿来の関」の石碑、左端には「関東の宮」右端には「奥州の宮」が建っています。
「なこそ」とは昔の日本語で「こないでください。」と言う意味だそうです。
順路が逆になってしまいましたが、勿来の関の入口です。馬に跨った源義家の像がありました。
何故、源義家なのと思いましたが、、、千載和歌集に勿来の関と桜を詠んだ和歌を残しています。(約1100年前)
遊歩道を歩いていると「弓弭(ゆはず)の清水」がありました。現在は枯れていました。
源義家が弓の端で掘ったところ清水が湧いたとか、、、
12月半ばなのですが、、、ヤマモミジが色鮮やかでした。
折角、勿来まで来たのだから、五浦観光ホテル前の市営駐車場にクルマを停め、、、
北茨木市の五浦(いずら)地区を散策することにしました。黄門さまの井戸も枯れていました。
五浦岬公園
五浦岬に立つ展望台です。天気が良くて、、、良かったです。
展望台から六角堂を望む。六角堂へは帰りに立ち寄ることにしました。
六角堂、レストラン椿、五浦観光ホテル別館大観荘、大観の湯が見えています
眼下は小五浦、他に大五浦、椿磯、仲磯、端磯の五つの浦が開けていることから「五浦海岸」と言います。
映画「天心」のロケセットが公園内にありました。
皇帝ダリア、展望台が木に隠れて残念。
藪の中に十字架と鐘が、、、
タブの木だと思います。
大津岬灯台です。昭和35年3月に点灯しました。(光度13万カンデラ、光達距離約37km)
東日本大震災で被災したため、平成24年3月に建て替えられました。電源も太陽光発電に変更しました。
初日の出はどの位置から昇るのかなあ~、元旦の下見も兼ねて来ました。(入場料¥400円)
山もいいけど、、、海もいいなあ~、遠く彼方にマリンタワーが見えました。
六角形の東屋は中国文人庭園では岩(太湖石)を観るためのものだそうです。
天心はここで瀾(大波)を観て、「茶」を楽しんだと言われています。
しかし、、、ここも東日本大震災で被災し、台座板を残して建物は流出しました。
六角堂の再建にはいわき市から切り出された樹齢約150年の杉が2本使用されました。
天心邸です。大津波は庭園まで達しました。(地面から約55cm、遡上高は約10.7m)
天心遺跡を出て、道を挟んだ向かい側に岡倉天心と娘「高麗子」さんのお墓がありました。合掌。
「コマチー」の愛称で父から熱愛されたそうです。
昼食は眺望レストラン「椿」さんで蕎麦+ミニマグロ丼セットを食しました。
特選海鮮丼と比べたら、、、何も言えませんねぇ~、漁師料理「天心丸」さんは行列が出来ていました。
中釜戸の「シダレモミジ」を観に向かう途中、約20台のオープンが信号で停まっていました。勇壮だなあ~
国指定天然記念物の「シダレモミジ」です。樹種はイロハカエデです。
2本の「シダレモミジ」は樹幹がねじ曲がって、各所にコブをつくり、樹冠は傘状に広がっています。
ねじ曲がった姿はカエデ本来の習性ではありません。大変珍しいものです。
シダレモミジのお子ちゃまが4本植えられていました。駐車場(約10台)は約500m離れた場所にあります。
最盛期は渋滞すること間違いなし。このあと「いわき・ら・ら・ミュウ」に戻り、お土産を購入。帰路に着きました。
7月22日開始のGoToトラベルを利用して毎月、1泊2日のプチ旅行を楽しんでします。
GoToトラベルの影響なのか、大都市圏では新型コロナウイルス感染者が増え続けています。
政府は令和3年1月11日まで、GoToトラベルを一時停止にしました。
人から人への感染ですから、、、一時停止にする判断が遅かったのではとも言われています。
山爺の住む郡山市も8月以降、新型コロナウイルス感染者が増加。(12/19 現在220名 福島県737名)
「勝負の3週間」から「真剣勝負の3週間」、「これがラストチャンス」などの言葉を聞くと、、、
有識者の見解を重く受け止めなければならないと感じています。
GW期間中、「外出自粛」「不要不急」などに徹したのですが、コロナ慣れしてコロナが忘れ去られたのでは、、、