2020.6.4 晴れ
西音森山&宇津峰
福島県 須賀川市 のんびり小隊
「須高山岳郭」のことが気になって、、、気になって、健康早起き登山を兼ねて須賀川市「市民の森」に来ました。
本日は市民の森~西音森山~宇津峰~須高山岳郭をめざします。
6時20分、西音森山登山口(市民の森施設内)をスタートしました。管理人さん手製のゲートをくぐります。
管理人さんが冬場、登山道を整備したそうです。
西音森山の中腹まではスギ林です。結構な急登が続きます。
スギ林を抜けると雑木林になりました。
これも管理人さん手製のマーキングです。5月30日、婆ばと市民の森の管理棟を案内していただきました。
雨で野外学習が出来ない時は管理棟内で木工教室を開き、子供たちに手作りの楽しさを教えています。
雑木林が開けて来ました。西音森山山頂のようです。約20分で山頂に到着しました。
西音森山は国土地理院の地図に載っていません。古くはない方位盤がありました。標高は547mあります。
石碑には古峰神社の由緒が刻まれていました。
戦国争乱の天正年間、ここ塩田村に不審火が続きました。時の領主が古峰大権現を祀り、火渦を収めました。
1717年(享保2年)5月15日、石宮として以来、深く信仰されて来ましたが荒廃が酷く、、、
この旧跡に社を復元し、神のご加護により家内安全と郷土の繁栄を祈念しました。(昭和6◆年5月15日)
東屋の周りに咲くアヤメ
東山~蝦夷嶽です。
降る途中、宇津峰山頂が見えて来ましたが、、、逆光で上手く撮れません。
こかげ広場に降りて来ました。
5月26日に訪れた時は数本のアヤメしか咲いていませんでした。
白い花、調査中
前回、キンランの写真を見せていただいた場所に咲いていたツツジの花は散っていました。
先を急ぎますので、、、鳥居の前で一礼。「須高山岳郭」の案内板を確認しなければなりません。
「余湖くんのお城のページ」で宇津峰城を学習して来ました。ここに「宇津峰城」がありました。
足尾神社に行く途中の稜線上に「長平城」がありました。
あった筈の「須高山岳郭」の案内板を見つけられません。見落としたのかなあ~
代わりに見つけたのが「宇津峯」の石柱です。何を意味するものでしょうか。
石柱の先がY字路に分かれていました。左折すると「足尾神社」です。
右折すると「馬車道新道 至市民の森」になります。2011年(平成23年)11月27日にはなかった新道です。
「旧馬廻り・馬車道 至市民の森」の案内板がありました。昔々はここまで馬で来たのかなあ~
2013年(平成25年)8月3日に来た時は「水場あり」の案内板もあった筈、、、
展望台とありますが、ロケーションは良くありません。
石垣を発見、人工的なようですが、、、良く判りません。
ここは開けた展望台になっています。丸太を置いただけのベンチがありました。
福島空港の滑走路が見えます。
「須高山岳郭」を見つけることが出来ないまま、足尾神社まで来てしまいました。
わらじが奉納されていました。達者に歩けるように、、、新型コロナウイルスが終息するように、、、祈りました。
足尾神社の上が展望台になっています。以前、薫SS隊のOさんと御来光を拝しました。(足尾神社下)
斜面を覆う笹の葉の緑色が綺麗です。
クローズされた登山道がありました。何処に降るのでしょうか。
ニッコウキスゲに出逢いました。
Y字路まで戻って来ました。次回、馬車道新道を歩いてみたいと思います。
マツクイムシの被害に遭ったのかなあ~、穴は鳥の巣穴のようです。
年代もののマツが登山道に並んでいます。
宇津峰山頂に「星ヶ城」がありました。篠竹の下に二等三角点があります。(右下)
5月26日に来た時、まだアヤメは咲いていませんでした。
星神社
しめ縄の下をくぐりました。
こかげ広場の右手(トイレ裏)に「谷田川49号線」と「市民の森」への案内板があります。
こかげ広場~市民の森へ続く林道のようです。
三叉路に来ました。右折すると谷田川へ、左折すると市民の森へ行きます。
正面の小高い丘に東屋がありました。宇津峰山総合案内図には西音森山への登山道はありません。
管理人さんが登山道を作られたとのことです。
林道を歩いて来た登山者が林道を外れて踏み跡のある登山道を登って行きます。何処へ行くのでしょうか。
市民の森の施設内に入って来ました。
もうひとつ、西音森山への登山口がありました。
ヤギさんが山爺を見ています。おはようございます。めぇ~めぇ~
沢の水を取り入れた「水あそび場」がありました。夏休みに孫たちを連れて来ようと思います。
炊事場を中心にテントサイトがあります。炊事場にはピザ窯がありました。静かな森でキャンプしたいなあ~
、、、と思ったら、平日なのに1組だけキャンプをしていました。
本日の目的は「須高山岳郭」の案内板を確認し、「須高山岳部」の見間違いを正すことにありましたが、、、
案内板は朽ち果てたのか、確認することが出来ませんでした。
山城での「郭」は細長い尾根の先端の小区画(物見)を言うようです。
宇津峰城は山城ですから、下から攻め上がる北朝の敵兵を見張り、攻撃したのかも知れません。
「余湖くんのお城のページ」の宇津峰城の鳥瞰図を見ると長平城の下に堀切があり、その下に郭があります。
それが「須高山岳郭」です。鳥瞰図を見なければ知り得ないことでした。
ずっと、「須高」の山岳部のトレーニングコース(牡丹平登山口~宇津峰山頂)と思い込んでいました。
お恥ずかしい限りです。訂正いたします。