のんびり過ごし隊


 村田城址散策【2020.7.20】 曇り                                                      のんびり小隊
    宮城県 村田町


仙台市青葉区愛子へ治療に行く際、村田町~県道31号線を利用しています。

以前から「鎮守の森」が気になっていました。治療後に立ち寄ることにしました。石段は93段ありました。

円満の神 坪沼八幡神社です。仙台市太白区にあり、約1000年の歴史を持つ宮城県最古の八幡神社です。

拝殿の左手に「御神木」と「離縁杉」右手に「夫婦杉」の巨木がそそり立っていました。

   

「円満」を心に刻み、家庭や社会が平和にかつ繁栄するように祈念するとのことです。

お詣り後、アニメ調の文月限定の御朱印をいただきました。

御朱印に氏名を書いていただいたのは初めてです。(御朱印はWeb掲載より)

次に訪れたのは村田町の「白鳥神社」です。

日本武尊が蝦夷征伐の際、布陣されたこの地に亡き尊を偲んで大宮白鳥宮を建立したと伝えられています。

日本武尊に始まり、弘法大師~源義家~源頼朝~北畠顕家~歴代村田城主の崇敬の対象のなりました。

前九年の役の際、源義家が父 頼義に従って東征し、この地で敵軍に追い込まれ窮地に陥りました。

この時、フジが大蛇に化けて敵兵を撤退させたと言う伝説から「奥州の蛇藤」と言われています。

フジは長さが約25m、最大直径が約1mあり、参道に覆い被さる姿は大蛇のようです。(樹齢約800年)

このケヤキは樹高約24m、直径約2.35mありましたが、、、平成4年に樹勢回復の治療を受けました。

縄文ケヤキとも言われていたようです。

このイチョウも平成4年に樹勢回復の治療を受けていますが、、、平成22年11月2日の暴風で倒伏しました。

樹高約28m、直径約2.1mあったそうです。この他、境内にはスギやシラカシの巨木が多数ありました。

拝殿に家族の健康と新型コロナウイルス終息を祈願しました。

拝殿の上空をシラサギが飛んでいましたが、、、写真に収めることは出来ませんでした。

愛くるしい狛犬ですねぇ~

拝殿に年代を感じる掲額が飾られていましたが、、、読み取ることが出来ませんでした。

「みちのく宮城の小京都 蔵の町 村田」を散策してみましょう。

江戸時代の村田は仙台と山形を結ぶ街道の分岐点として商都の賑わいをみせていました。

村田商人は紅花や藍を仙南地方で買い集め、江戸や上方・京都へ運ぶ商取引を行っていました。

当時の栄華を伝える豪勢な店蔵が今も町の中心部に残っています。

Cafe蔵人さんの蔵

重厚な蔵と門が一対となり、連続する景観がいいですねぇ~

大沼酒造店さんの蔵

通りの両側は短冊形に地割りされ、蔵が整然と建ち並んでいます。江戸時代の町人地の姿を留めています。

山専さんの蔵

大沼屋さんの蔵(やましょう記念館)

大沼屋さんの蔵は建築:1874年(明治7年)、改修:1914年(大正3年)の歴史があります。

「やましょう記念館」は見学することが出来ます。通りから通りまでの短冊形の広い敷地に豪商を感じます。

蔵の町並み通りに2ヶ所駐車場とトイレがあり、無料で利用できます。

天保12年創業(1842年)の「かねしょう」さんの蔵

「かねしょう」さんは「やましょう」さんの分家で「蔵の資料館」になっています。

オーナーの奥さまに村田の話しを聞かせていただき、、、時を忘れてしまいました。

孫たちに昔懐かしい「かるめ焼き」と京都の「ひやしあめ」をお土産に買いました。

表札は電話番号、、、

かねしょうの奥さまに教えていただいた日本一の納豆屋さんに立ち寄りました。大永商店さんは、、、

今年2月21日、「第25回全国納豆鑑評会」で特別賞・熊本県知事賞を受賞しました。(金賞を含め7回受賞)

受賞した「グリーンパール納豆こつぶちゃん」とチョコ納豆・ナットメンをお土産に買いました。

村田町の中心部に城山公園があります。城山公園通りに架かる「歴史ゲート」です。

村田城址への入口にもなっています。

歴史ゲートに「からくり時計」が組み込まれています。

今から約800年前、一ノ谷の戦いで討たれた「平 敦盛」が好んで吹いた「青葉の笛」の曲が、、、

平家の落武者により、村田の里に伝えられました。時刻になると曲と一緒に布袋さまが出て来るとのこと。

なんで、布袋さまなの~、、、 毎年、10月10日に「布袋まつり」があります。

豊作や商売繁盛を祝い、お囃子に合わせて笑顔の布袋さまが山車の上で舞い踊ります。

城山公園内を散策してみましょう。

   

駐車場内に本丸跡地へ続く石段があります。その先は草むらと言っていいかなあ~

昇り詰めると郭に出ました。郭(曲輪)とは、、、

山城においては平坦な敷地を確保するため、人工的に山肌を削平し設けた区画を言います。

二ノ丸跡地に村田町立村田小学校が建てられました。

村田城址の大きな看板、階段が草に隠れて足元が見えません。

村田城址本丸跡地です。野外広場になっています。

1613年(慶長18年)、伊達政宗の7男 宗高が7歳で館主となりましたが、、、天然痘で20歳で亡くなりました。

その後、芝多氏が約184年もの長い間、村田を治めました。村田城主一覧を見ると、、、

室町時代の村田業朝に始まり、明治維新の廃城まで村田城は22名の城主によって治められて来ました。

その中に石川昭光の名前がありました。昭光は福島県石川町にある石川城主でしたが、、、

小田原の役の際、伊達政宗に属し、遅参したため領地を没収され、、、岩出山城へ転封。(奥州仕置)

その後、村田城(3000石)で隠居生活を送り、、、昭光は朝鮮出兵や大阪冬の陣にも参戦しています。

彫刻家 吉田正彦氏の作品「方位の空間」です。城山公園内に17作品が野外展示されています。

土塁は土をそのまま盛り、叩いて固めた高まりで敵の侵入を防ぎます。手前が横切になっています。

郭にある多聞櫓風のトイレと大土塁

竪堀は山の斜面に直角に作った空堀で敵の侵入を防ぎます。

2015年4月、城山公園20周年を記念して遊歩道に石碑が設置されました。

未来につなげる言葉として、、、石碑には全国の秀逸な詩歌と村田町の小・中・高校生の詩歌が刻まれています。

町立村田幼稚園

村田町歴史みらい館は生涯学習施設で館内には資料展示室、図書室、研修室などがあります。

エントランスホールには「布袋まつり」の山車が飾られています。

村田町名誉町民の三宅義信氏の胸像です。三宅氏は重量挙げの選手です。

ローマ、東京、メキシコ、ミュンヘンとオリンピック四大会連続出場の偉業を成し遂げています。

ローマで銀メダル、東京・メキシコで金メダルを獲得しています。座右の銘は「根性」

「道の駅村田」は平成22年4月10日に道の駅として登録されました。

物産交流センターで蜂蜜やメダカを買ったことがあります。今回はパス。

城山公園通りに架かる「未来ゲート」です。

城山公園通りを歩いて駐車場まで戻ります。

   

途中、八幡神社の鳥居があったのでお詣りして来ました。

八幡神を祀る神社は八幡宮と呼ばれ、その数は1万社とも2万社とも言われています。

稲荷神社に次いで全国2位だそうです。祭神で全国の神社を分類すれば八幡信仰が第1位(7817社)です。

就学前、麓山の八幡さまの境内で遊んだことを思い出しました。

乾八幡神社

   

遅い昼食になりました。麵屋だいず村田店の「白・黒・赤」の「三色ラーメン」です。(3種類のスープで食す。)

「赤」は薬草と13種類のスパイス使用のスープ、、、美味しゅうございました。

帰路の途中、先週に引き続き、国見町の中尊寺蓮を訪れました。今年の開花はイマイチかなあ~

淡いピンク色した中尊寺蓮(MICRO 105mm)

スイレンとハスの違いについては判りましたでしょうか。(前述の猪苗代城址)

ハスの葉には珍しい特徴があります。ロータス効果です。

ハスの葉には撥水性があり、朝露などが綺麗な水玉になって葉の表面に付いていることがあります。

同じようなコーティング技術が塗料・繊維・自動車のサイドミラーなどに応用されているそうです



2018年10月~2019年3月まで「長生堂」でアキレス腱の治療を行い、山登りが出来るまでになりました。

コロナ禍で山行回数が減り(月山・富士山など中止)、近間を歩いていますが、、、

外出自粛もあり、農作業・庭木の剪定・遺品の整理などに多くの時間を費やしています。

そのためか、右肩が上がらなくなったり、指先が痺れたりするようになり、地元で治療を始めましたが、、、

仙台市青葉区愛子で治療することにしました。自宅~愛子まで往復約270kmあります。

通院だけでは勿体ないので、道すがら名所旧跡をめぐることにしました。歴史講座で学んだことも確認しています。

今後も宮城県の仙南地区・福島県中通りの県北地区を紹介して行きたいと思います。