猪苗代城址(亀ヶ城)散策【2020.7.19】 晴れ のんびり夫婦隊 福島県 猪苗代町
7月12日、福島市にある古関裕而記念館、JR本宮駅前にある伊藤久男の記念碑を訪ねました。
連続テレビ小説「エール」を観ていますが、、、6月27日から一時休止になりました。(コロナ禍)
亀ヶ城公園への道すがら、JR川桁駅前の「沼尻軽便鉄道記念碑」を訪ねました。軽便は、、、
古関裕而先生作曲の「高原列車は行く」のモデルと言われています。♪汽車の窓からハンケチ振れば~
6月下旬からの梅雨が明け切らない中、本日の天気予報は真夏日になるとか、、、
漸く、磐梯山山頂が雲の中から顔を出し始めました。お久しぶり~
陽射しも強くなって来ました。
昨夜、ローカル放送で亀ヶ城公園のアジサイ園が放映されました。アジサイが見頃を迎えています。
わんぱく広場から磐梯山を望む
新型コロナウイルスが終息し、孫たちを思いっ切り遊ばせたいですねぇ~
亀ヶ城公園内には総合体育館(カメリーナ)、体験交流館(学びいな)、図書歴史情報館(和みいな)などがあります。
8月1日から小学校が夏休みになります。じゃぶじゃぶ池で遊ばせようと思っています。
「学びいな」から磐梯山を望む、本日は何人が山頂に立っているかなあ~
ホタル生態園の小川でホタルの観察が出来ます。ホタルの一生の中で「火垂る」が見られるのは約10日とか。
「学びの泉」に咲くスイレン、「スイレン」と「ハス」の違いは、、、
スイレンは浮葉性植物で水面に葉を浮かべます。ハスは艇水植物で水面から葉を立ち上がらせます。
亀ヶ城公園内の施設をめぐり終えたので、「鶴峰城址散策路」と「猪苗代城址散策路」を歩くことにしました。
学びの森~石積枡形虎口~眺望の丘に来ました。すると、、、婆ぁばが「ギャー、、、」
大声に山爺もビックリ、天気が良いのでアオダイショウが日向ぼっこをしていました。
アオダイショウに出逢うといい事があるそうです。金運あり、、、
中世の丘を歩くと眼下に猪苗代小学校(野口英世氏の母校)のプールが見えました。
今年は山爺たちの猪苗代湖館浜キャンプも中止、郡山市側の湖畔は遊泳禁止になりました。
志田浜と天神浜はOKです。(猪苗代町側)
中世の丘の土塁の上を歩いています。
中世の丘は鶴峰城本丸跡地です。物見櫓跡もありました。
石祠は亀ヶ城稲荷神社の奥ノ院だと思います。眼下に社と赤い鳥居が見えます。
合戦広場(北郭)の急斜面を降りると「憩いの広場」に出ました。
「鶴峰城址散策路」は「猪苗代城址散策路」に比べ、マイナーなのかWILDですねぇ~
鶴峰城址から猪苗代城址に向かいます。
「歴史の広場」からアジサイ園を望む
最近、花の撮影にMICROレンズ(105mm)を使用しています。
ガクアジサイは花の形に特徴があります。中心の小さな蕾のようなものが花びらです。
大きな花びらは額縁に似ていることから名付けられました。ガクが花びらを守っているかのようです。
堀切の中を歩いて、、、近世の丘(猪苗代城本丸跡地)に向かいます。
郷土の丘(北帯郭)です。トイレがあり、丘全体が猪苗代小学校のグラウンドに接しています。
土塁の上から川桁山を望む
大手道の石垣、歴史を感じますねぇ~ 石段を昇り、本丸跡地に向かいます。
冠木門へ降る石段、枡形虎口の先に駐車場があります。左手には鐘撞堂があります。
天気も良く、アジサイが見頃なので人出が多いですねぇ~
猪苗代城(亀ヶ城)本丸跡地です。広さは約90m×約40mあります。
葦名氏によって会津防衛の前線基地として築かれた城です。会津若松城(鶴ヶ城)の支城とも言われています。
1589年(天正17年)、摺上原の戦い前に猪苗代氏は主家 葦名氏を裏切り、伊達勢を城に入れました。
これを機に蘆名氏は敗北、会津領は伊達氏の手中に収まりましたが、、、
翌年、小田原の役に遅参した伊達政宗は全ての会津領を没収され、奥州岩出山城に移りました。(猪苗代氏同行)
本丸跡地から磐梯山を望む
土塁に植えられている桜の木、来年はお花見が出来るでしょう。
二ノ郭に建てられた野口英世の像はアメリカから寄贈されたものです。
城址は野口少年が通っていた猪苗代尋常高等小学校の近くにあり、子どもたちの遊び場になっていました。
黒門跡
二ノ郭櫓門跡
搦手道から隅櫓・土塁を望む
見晴らしの丘(南帯郭)から猪苗代湖を望む
「むかし体験館」は旧山内家の住宅です。1812年(文化9年)に建てられたものをここに移設しました。
猪苗代蕎麦を食べたくて、Webで2店舗の情報を得て来ましたが、、、どちらも満席。「遊山」さんも満席。
県道沿いに幟があったので、、、4店舗目で「農家レストラン 結」さんの「見祢大石セット」に漸く、あり付けました。
「猪苗代蕎麦+かき揚げ丼+漬物」は見祢地区の食材を使用しています。ボリュームと質に満足しました。
農家レストラン脇に見祢上山琵琶神社、磐梯山山頂にある「磐梯明神」の分社などが祀られていました。
農家レストランから約50m先に「見祢の大石」がありました。初めて見る大石です。
見祢の大石は1888年(明治21年)磐梯山破裂の際、山上の火口にあった輝石安山岩の巨塊です。
爆発火口から火山泥流によってここまで運ばれました。(約5km)
猪苗代蕎麦を食べたことだし、、、
猪苗代の霊場 見祢大聖不動明王にお詣りして来ました。
確認したいことがあったので、、、亀ヶ城公園に戻りました。奥ノ院から見た「亀ヶ城稲荷神社」です。
鐘撞堂も冠木門にある駐車場にクルマを停め、確認して来ました。
暫く振りに青空を見ました。山にも行きたかったのですが、、、
コロナ禍により生活全体のリズムが狂ってしまいました。体調がイマイチ優れません。
近間にも今まで触れたことがない良いところがたくさんあります。以前よりは時間が出来ました。
時間を大切に、、、健康に、、、過ごし隊と思います。