のんびり歩き隊

                                                                    2019. 6.15    雨


          会津米沢街道歴史ウォーク

           福島県 北塩原村                                                            のんびり小隊


ローカル紙に北塩原村主催の「第12回 会津米沢街道歴史ウォーク」の募集がありました。(先着500名)

雨で開催が危ぶまれましたが、5時58分、「ラジオ福島」から「開催しま~す。」との放送が流れ、自宅を出発、、、

北塩原村生涯学習センター(旧大塩小学校跡)には7時30分に到着しました。

クルマの中で朝食を済ませ、受付会場の北塩原活性化センターに向かいました。(駐車場から徒歩約10分)

   

受付を済ませると、8時20分から会場でオープニングセレモニーが開催されました。

北塩原村村長・ユーモアある米沢市市長の挨拶、お姉さんによるストレッチ、テープカット後、元気に勝鬨を挙げました。

北塩原村の若武者に見送られて、、、法螺貝の合図でスタートしました。

会津米沢街道歴史ウォークは4コースの中から選択することが出来ました。

Aコース(約15kmのウォーキング )、Bコース(約10kmのウォーキング)、Cコース(大塩地区散策 約5km)

Dコース(柏木城跡散策 約3km)、山爺はAコースを申し込み、参加しました。(ABコース定員360名)

会場を出て、国道459号線を「ラビスパ裏磐梯」方面に向かって歩きました。

本日の参加者は約380名でした。(翌日の福島民報に記事掲載)

   

大塩川を渡ると旧会津米沢街道(村道)に入ります。家並の奥には大塩裏磐梯温泉の温泉神社がありました。

傾斜の急なこと、急なこと、、、石段は何段あるのかなあ~

   

ここより先は本日のイベントのため、通行止めになっていました。(7:30~13:00まで)

舗装道を安心して歩くことが出来ました。

三角のお山が見えて来ました。駐車場から見えた山です。帰宅してから地図で調べると「P963」のようです。

   

kokoNo1旧会津米沢街道入口に到着しました。会場から約2.45kmの地点になります。

旧会津米沢街道入口はNo1~No8まであります。No8出口の先にAコースの折り返し地点があります。

No1旧会津米沢街道入口に「八丁壇一里塚」がありました。この一里塚は会津若松から六里の距離にあります。

大塩橋から八丁(約872m)の所にあるため、八丁壇と呼ばれて来ました。

No1旧会津米沢街道を登り終えると、村道を挟んで、No2旧会津米沢街道入口がありました。

ここに第一給水所が設けられていました。

   

冷たい麦茶と特産品の「山塩」を振りかけた「生胡瓜」でおもてなし、、、美味しゅうございました。

おばあちゃんとお孫さん、抜きつ抜かれつで歩きました。お孫さんは来年も参加するそうです。

小雨の中をしっとりと歩く、、、これもいいなあ~

雨に濡れた新緑の香り、、、いい気分です。

前を行くのは「白河新選組同好会」のみなさんです。切通しのように道幅は狭いです。

番傘を差しているのは「會津新選組同好会」の局長さんです。

村道で「白河新選組同好会」のみなさんと出くわしました。あ~あ、同士で良かった。

村道と旧会津米沢街道を交互に歩き、折り返し地点をめざします。

「會津新選組同好会」の若いお姉さんのふたり組です。全国に約100名の隊士がいるとのことです。

私たちは「まだ、下っ端だから、、、」 でも歴女は凄いなあ~と感じました。

フタリシズカです。

巨木のスギ並木の先に村道、さらにその先にはNo5旧会津米沢街道入口がありました。

No5旧会津米沢街道入口です。この一帯は退頭古戦場跡(たいがしら)と伝えられています。

米沢の伊達政宗軍は会津領の桧原を陥れ、会津盆地に侵入しようと大峠を越えましたが、、、

街道の道幅は狭く、陣を立てる場所もないので、引き返したと記録されています。(関ケ原合戦の約15年前)

第二給水所が見えて来ました。Bコースの折り返し地点にもなっています。

ここで山塩あわ饅頭をいただきました。美味しゅうございました。「白河新選組同好会」のみなさんは降るようです。

会津藩主 保科正之公は1649年(慶安2年)、五街道を定めました。

この時、「会津街道・米沢街道」も定めています。1667年(寛永7年)には一里塚、松並木、宿場などを整備しました。

写真は松並木最大の樹齢約400年以上の「殿様松」です。

たくさんの松が植えられましたが、、、現在、残るのは7本のみ。(自然災害で消滅)

萱峠茶屋跡です。標高は約850mあります。疲れを癒す茶屋が昭和11年までありました。

伊能忠孝(1802年8月3日)、吉田松陰(1852年3月23日)がここを通り、磐梯山を眺めました。(記録あり)

大塩裏磐梯温泉の源泉を煮詰めて、山塩を採るための燃料として切った「萱」の名前が由来とか、、、

No8旧会津米沢街道入口はスタート地点から約6.84kmあります。この一帯は「鹿垣」(ししがき)と呼ばれていました。

竹や枝の付いた木を編んで垣を作り、カモシカなどの動物が田畑に侵入するのを防ぎました。

合戦にも用いられ、ここ「鹿垣トイフ処」で大塩柏木城の伏兵が伊達の先兵を討ち取りました。(伊達政宗は通過)

街道の先は切通しのようです。ここを降ると小沢が流れ込み、一番、歩き難い区間でした。

No8旧会津米沢街道出口に出ました。村道を約50m降ると、Aコースの折り返し地点です。

   

折り返し地点は第三給水所になっています。山塩飴をいただきました。どうも、山爺がラストのようです。

復路は村道を歩きます。ゴールまで舗装道なので、折角、治ったアキレス腱を痛めないように、、、

紋章を思わせるようなヤマボウシ

ヤマモミジの先だけが何故か、紅葉していました。

   

スタートして最初の「お休み処」です。往路通過時はまだ準備中でしたが、、、

ラストの山爺を待っていたかのように、「甘酒、胡瓜、ワカサギの天麩羅」でおもてなしを受けました。

お母さん達、遅くして申し訳ございませんでした、、、美味しゅうございました。

   

スタート地点の北塩原活性化センターに戻って来ました。会場の左手には柏木城への順路がありました。(Dコース)

会場内でおにぎりを購入し、「豚汁と焼き鳥」のおもてなしを最後の最後まで受けました。

しかし、、、3人にひとりは当たる抽選会(豪華景品)には今回も見放されました。(二等賞の1番違い)

ラビスパ裏磐梯の入浴券をいただきましたが、16時からの孫の送り迎えがあるので早々に、、、

国道459号線沿いにある「山塩工場」です。何故、山塩がこの地にあるのでしょうか。

磐梯山の麓にある大塩裏磐梯温泉は「グリーンタフ」と呼ばれる地層に閉じ込められた太古の海水が源泉です。

長い年月で海水成分が変質し、海水に比べ塩素イオンが少なく、硫酸イオンが多い、特殊な良泉になりました。

弘仁年間(810~824年)、この地を訪れた弘法大師は塩がない山深い里の難儀を哀れみました。

そこで護摩を焚き、一心に祈ると岩が割れ塩水が噴き出したとか、、、

村では塩作りが盛んになり、江戸時代には会津藩に納め、明治時代には皇室に献上されました。



第12回 会津米沢街道歴史ウォークに参加して来ました。

令和元年のテーマは「直江兼継」 ~会津米沢街道に武士への想いを馳せる~ です。

伊達政宗、伊能忠孝、吉田松陰など日本の歴史を創り上げた方々が行き来した街道を本日、歩きました。

雨の降る中でしたが、、、歴史探訪に大いに感動し、ロマンを感じました。