2019. 10.3 雨
栗駒山
宮城県 栗原市 ML会+のんびり小隊
9月末から毎日、栗駒山の紅葉情報(ヤマレコ)を見ていました。今週が見頃を迎えていますが、、、
ML会のみなさんとの山行(10月3日~4日)の天気が気になっていました。
なんで、、、栗駒山が台風18号の暴風域に入るんだ!(台風15号と同じ勢力)
前日、A会長と山行計画を話し合い、4日の栗駒山登頂を3日にしました。(3日の雨量は1mm程度)
神奈川県~東海道本線~東北新幹線を乗り継ぎ、いわかがみ平には13時に到着しました。
台風の影響で駐車場はガラガラです。福島県の会津バスが停まっていました。
小雨の中、準備をして栗駒レストハウスをスタートしました。登山者はいません。
石を敷き詰めた登山道が約1km以上続きます。
レインウエアを着ているのでムレムレです。
晴れていれば、紅葉が綺麗でしょうに、、、
団体さんと擦れ違いました。道を譲ってくれたリーダーの顔を見上げるとヒマラヤ山楽会時代のOさんでした。
「暫く振りです。Nです。」 OさんはS山岳会を主宰しています。(会津バスチャーター)
栗駒山山頂は強風が吹き荒れ、注意するようにとアドバイスがありました。
晴れていれば、、、栗駒山山頂や東栗駒山山頂が見えます。
折角、来ていただいたのに、、、
koko霧に覆われ、約30m先が見えません。
苔の上のオブジェ
東栗駒山との分岐を過ぎると、階段状の登山道を登ります。山頂は直ぐです。風が段々と強くなります。
カメラを覆っていたビニール袋が飛ばされました。みなさん、足が止まってしまいました。
山爺は耐風姿勢で堪えています。(風速約20m以上)、指先が痺れて来ました。低体温症が心配。
GPSでの標高は約1600mです。あと約26mで山頂ですが、、、下山することにしました。
吹き飛ばされなく良かったあ~、笑顔で記念撮影。
一瞬、視界が開けました。晴れていればなあ~
石畳が濡れて滑り易くなっています。気を付けて降りました。
途中、軽装(手ぶら)の外人さんや若者に逢いました。何考えているの、、、
足の悪い方が辛そうに歩いていました。山爺とA会長が声を掛けましたが追い越し、、、気になり戻りました。
「荷物を持ちましょう。」「大丈夫!」なので、、、その場を去りました。ヘッドライト持っているのかなあ~
辺りは暗くなり始め、栗駒レストハウス到着は16時を過ぎようとしています。(前日遭難騒ぎ、自力下山)
いわかがみ平駐車場を17時に出発し、本日の宿「鳴子温泉郷 中山平温泉 星の湯旅館」へ向かいます。
「星の湯旅館」へは駐車場から約60km、18時20分に到着しました。お風呂で冷えた身体を温めたました。
「星の湯旅館」さんはWebで検索し、質素で安価、、、泉質が良いので決定!(1泊2食付き税抜¥6,000円)
湯舟は檜造りです。浴槽は広くありませんが、泉質(アルカリ性単純泉)はぬるぬる。「うなぎの湯」と言われる由縁です。
翌日、、、
本日も朝から雨なので観光旅行に切り換えました。
鳴子峡の紅葉スポット「大深沢橋」を望む、まだ紅葉シーズンには早いようです。
岩下こけし資料館です。展示品の中には江戸時代の貴重な文献や展示物があり、展示数は東北一です。
主な展示品は日本最古のロクロで造られた器、織田信長や豊臣秀吉からの免許状などです。
有備館の森公園の南を流れる「内川」は伊達政宗の指示により掘られた人工河川です。(岩出山築城と同時着手)
大崎耕土約3,300haに用水を供給する農業用水路です。世界かんがい施設遺産になっています。
伊達政宗は1591年(天正19年)、豊臣秀吉の奥州再仕置きにより、米沢から岩出山に本拠地を移しました。
関ケ原合戦後、徳川家康から新たな領地(仙台)を与えられ、、、四男宗泰が岩出山城主になりました。
「有備館」は岩出山伊達家の郷学(学問所)です。開校は1850年(嘉永3年)、十代当主 邦直とされています。
東日本大震災で御改所(主屋)などが被災、2016年(平成28年)に復旧工事が完了しました。
池の鯉に餌をあげています。童心に返ったようです。
有備館の庭園の紅葉もこれからです。
樹齢約300年のヤマザクラです。仙台の茶人「清水道竿」に作庭させた際、冷泉家から贈られた「吉野の桜」とか。
池に浮かぶ「御中島」、茶室があります。
庭園が造られた1715年(正徳5年)に植えられたと言われる「ヤブツバキ」です。
最も古いものは樹齢約300年と推定されます。
ML会と歩く「みちのくシリーズ」は昨年の月山、今年の栗駒山と台風の直撃を受け、消化不良の山行になりました。
年初に山行を計画する訳ですから、、、先々の天気は読めません。仕方がありませんねぇ~
中山平温泉の泉質、観光めぐり、道の駅などでの買い物を楽しんでいただきました。また、リベンジ山行が増えました。