のんびり歩き隊

                                                          2019.12.13~14    曇り/晴れ


          岩戸山&城山

           静岡県 熱海市+神奈川県 湯河原町                                          ML会+のんびり小隊


   

ここは熱海駅前です。ML会のみなさんとのオフ会に参加するため、東海道新幹線に乗り継いで来ました。

本日の山行地は岩戸山です。熱海駅前からバスで十国峠に向かいます。(約40分乗車)

   

十国峠レストハウス2Fにケーブルカー乗り場(十国登り口駅)があります。

平日なのでML会(山歩き隊9名)の貸し切りでした。(運賃大人¥370円)

展望台のある日金山山頂(十国峠駅)まで全長316mを約3分で登ります。

このケーブルカーはつるべ式(交走式)で動く、レトロなケーブルカーです。

展望台から右手に小室山、熱海温泉街、正面に大島、新島などを望むことが出来ました。

   

正面に駿河湾を望むことが出来ましたが、、、富士山は今年も観ることが出来ませんでした。

その昔、「伊豆、駿河、遠江、甲斐、信濃、武蔵、上総、下総、安房、相模」が眺められました。(十国の由来)

晴れていれば右写真(Web情報)のような富士山が観られます。

台形の山は、、、山名は調査中です。

   

展望台を背に「峠の広場」に向かいます。振り返ると富士山が、、、ワンちゃんと遊べる無料のドックランがありました。

koko眼下に沼津市街が見えています。何時かは縦走してみたい「沼津アルプス」です。

峠の広場にある右大臣 源実朝の歌碑

源実朝は源頼朝の次男で北条氏に担ぎ出され、11歳の若さで鎌倉幕府3代目将軍になりました。

これが北条時政による執権政治の始まりと言われています。

一方、長男の頼家(2代目将軍)は比企氏が後押し、、、将軍争いに負け、21歳で謎の死を遂げました。

   

姫の沢公園

日金山東光寺

岩戸山ハイキングコースに入りました。漸く、登山道らしくなって来ました。

峠の広場を起点に日金山ハイキングコース、紅葉谷ハイキングコースなどがあります。

末代(富士)上人宝筺印塔です。日金山で修業した富士上人は富士山修験の頭領です。

富士山に数百回以上登って修行し、山頂に大日寺を建立しました。

また、後鳥羽上皇直筆の如法経を埋経して、、、富士山山岳仏教を定着させました。

笹のトンネルを「さっさ、さっさ」と歩く。

道標がしっかりしているので迷うことはありませんでしたが、、、

岩戸山山頂です。ここで相模湾を眺めながらランチタイムにしました。

大宮から来た登山者約20名が後から来ましたが、、、山頂が狭いので別の場所に移動しました。

ベンチからの眺めです。

熱海城にズームUP、今夜、ライトアップはあるのかなあ~

登山道は黄色の葉で彩られていました。いい感じ~

   

登山道から舗装道に出ました。伊豆山神社に降るのですが、、、案内板に現在地の標記がありません。

舗装道の道幅の広い方を選んで右折しました。山爺のGPSでは岩戸山に戻る方向に進んでいます。

ゴールの伊豆山神社まで行けないことはないのですが、戻ることにしました。

舗装道からの眺め、初島と大島が見えています。

温泉を掘削中の作業現場、自宅用に掘っているのでしょうか。

山爺の地元も約1,000m掘ると温泉が湧き出るそうです。掘削費は1m/¥10,000円と聞いたことがあります。

山の斜面を利用して建てられたひな壇状のリゾートマンションです。

9Fまでは斜行エレベーター、10F以上は一般的なエレベーターで上がります。空きがあるようです。

現在、このような建築は申請しても許可しないそうです。

伊豆地方は暖かいので一般家庭の庭先にミカンが植えられていました。

自宅の庭にレモンの木やコーヒーの木を植えていますが、、、寒いのか実を付けてくれません。

   

ゴールの関八州総鎮護「伊豆山神社」です。約170段の階段を上ります。手水舎の赤白二龍。

赤龍は火、白龍は水の力を掌り、二龍の力を合わせて温泉を生み出すと言う守護神です。

それにしても舗装道歩きが長かったので足の裏が痛いです。

   

本殿に参拝し、御朱印をいただきました。Mちゃんの良縁を願いました。

昨年、玄岳山行の翌日、ML会のみなさんに案内された「來宮神社」に来ました。

伊豆山神社から直通のバスがないのでタクシーを利用し、ひとり参拝をして御朱印いただきました。

写真右下はイチョウの葉で模った「ハート」マークです。ここでもMちゃんの良縁を願いました。

來宮神社から歩いて約10分、宿泊施設の「ニューフジヤH」が見えて来ました。沖に初島が大きく見えています。

屋上の露天風呂から遠くは房総半島、伊豆七島などが望めます。翌朝、相模湾から昇る御来光が楽しみです。

大湯間歇泉です。昨年は清掃中でしたが、、、丁度、温泉が噴き出していました。

   

今年は体調が思わしくなかったので、ハイボールをコップに半分、、、嘘みたい!呑むより、食に走りました。

紅ズワイカニを12皿分食べたかなあ~、食べ放題・飲み放題で¥9,000円也。嘘みたい!(一泊二食税込)

磐梯熱海温泉の伊東園ホテルズも年末年始は予約でいっぱいでした。



翌日の14日は、、、

   

昨夜はML会(21名)のオフ会を充分に楽しみました。本日は「しとどの窟」BS~城山~湯河原駅まで歩きます。

全員、ニューフジヤHの送迎バスに乗車し、熱海駅へ。一駅先の湯河原駅に向かいます。

   

湯河原駅前にある土肥實平公の夫婦像

源頼朝の重臣で一ノ谷の戦いでは源義経と共に平家と戦い、勝利しました。

奥州合戦にも参戦し、阿津賀志山(福島県国見町)の防塁を越えて攻め込んで来た、憎き土肥一族。

奥州藤原氏は滅亡しました。「しとどの窟」バス停まで移動します。(約40分乗車)

   

「しとどの窟」バス停から斜面を上ると城山ハイキングコースへ、真っ直ぐ進むと「しとどの窟」へ向かいます。

城山隧道を潜り抜けると「しとどの窟」の入口になります。(GPS受信不可)

   

「しとどの窟」まで急な坂を約400m降ります。山爺の前を歩いているY会長は御年89歳です。

前回の山行では約30,000歩を歩いたとのことです。山爺も健脚にあやかりたいものです。

1180年(治承4年)、石橋山合戦で平家に敗れた源頼朝はこの「しとどの窟」に身を隠しました。

熱海権現別当に逃れた後、真鶴から安房国へ脱出したと伝えられています。

敗戦後、再び源頼朝は挙兵(約20万の大軍)し、戦わずして平家軍は崩壊、源氏が勝利しました。

一旦、「しとどの窟」バス停まで戻り、城山への舗装道を歩きました。

平坦な尾根の登山道をのんびりと歩く。

城山山頂への近道の道標があったので登りました。唯一の急登でした。

城山山頂でランチタイムにしました。ここから富士山を望むことは出来ません。

城山山頂から相模湾を望む

昨日の伊豆山山行と比べるとポカポカ陽気です。

城山を降り、舗装道に出ました。

クルマが通った形跡はありません。

まだ、紅葉が残っていました。

舗装道が入り組んでいて、道迷いしそうです。

イノシシ捕獲の檻です。エサはミカンです。

ナニコレ珍百景に出そうな、庭先に設置された懐かしい大型看板です。(日活&東映)

思わず、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」を口ずさんでしまいました。「おいらはドラマー、ヤクザなドラマー、、、」

城願寺は土肥一族の菩提寺です。

   

城願寺境内にある「ビャクシン」と縁結びの「なぎの木」

七騎堂です。源頼朝と共に戦った主従七騎の像が祀られています。

平家が滅び王朝政治が終わりを告げ、武家政治時代の始まりの地(小田原~湯河原)です。

   

いにしえの参道を土肥一族と共に歩いてみました。

Yさんの帽子が風に飛ばされ、丁度、クルマの下に入ってしまいました。

   

本日も舗装道歩きが辛かった、、、漸くの思いでゴールの湯河原駅に到着しました。

ここでML会のみなさんとはお別れ、来年1月5日の新年会を楽しみにしています。

山爺はひとり熱海駅に戻り、Mちゃんとの忘年会の食材を購入して帰路に着きました。



富士山の写真を撮りに十国峠に来ましたが生憎の曇り空、こんな時もあります。

新たな令和を迎えましたが、体調が思わしくなく、耳鼻咽喉科に通院しました。富士山山行も目眩で断念。

山友から重ね合う歳は良くないと言われました、、、あと二週間で令和2年を迎えます。

健康に過ごせるように準備し、新たな試みに向かって進みたいと思います。